おば茶TIMES おばちゃん記者の、おばちゃんの視点による、おばちゃんのための生活情報


Let’s Go 権現峠!広島南アルプス・大鳥居完成

「権現峠(ごんげんだお)に大鳥居が完成して、そのお披露目の会があるんですよ。」

昨年秋、「沼田町ふるさと祭り」を取材した際に立ち寄った「ともてごプロジェクト」のブースで出会った伴中央町内会会長の上垣内さんからお知らせをいただきました。

「みなさま、『権現峠(ごんげんだお)』ってご存知でしょうか。」
と聞いてピンときた読者の方は地域づくりに特段の関心を持っておられるかたと推察いたします。さらに、このタイトルにあります『広島南アルプス』をご存知の方は、きっと山歩きがお好きな方でございましょう。

権現峠について調べてみると

ええ、「アルプス」と申しましても、ハイジもいなければ山羊さんも出てはきません。 広島市のサイト「ひろしま森づくりコミュニティネット」によりますと、

武田山から火山、丸山を経て鈴ヶ峰へ至るコースです。このコースには、銀山城址などのみどころが豊富にあります。地域のボランティアの皆さんの頑張りで、非常によく整備されています。案内板も至るところにあることから、初心者の方でも安心して登れます。武田山から鈴ヶ峰に至る長い稜線づたいの縦走コースは眺望が良く、アルプスのように長く、歩き応えがあるため、「広島南アルプス」などと呼ばれ、多くの愛好家に親しまれています。

と、ありました。

「権現峠(ごんげんだお)」については、ひろしま情報a-ネットに記載がありました。

【まちづくり活動発展助成部門】
権現峠の歴史古道伝承による伴中央地域のまちづくり 権現峠(含む権現神社)の古道整備・景観環境整備などを行い、登山者が楽しく安心して通れるよう管理すると同時に、権現峠にまつわる歴史文化を多くの人に伝える

おば茶記者が昨年おじゃました、「沼田町ふるさと祭り」取材のメモには、
  • 重要な生活道路として長いながい歴史のある峠。
    古代山陽道が作られた当時から、この峠道は人々の往来があり、峠を通る旅 人はこの峠にあった石を「神石」としてまつり、旅の安全を祈っていた。
  • ともてごプロジェクトでは権現峠を整備して、権現神社の説明板を造ったりして、里山の整備をしている。
  • 地域の歴史や自然を伝えていくことで住民が自分たちが住んでいる地域のこと知り、郷土への愛着を育てていきたい。
という、走り書きが残っております。

ちなみに、峠(とうげ)という漢字は、国字、つまり日本生まれの漢字です。
山道を上り詰めたところ、という意味でつかわれておりますが、この「峠(とうげ)」を「たお」と読むのは、中国地方に多いそうですよ。

古来、日本では、峠には道祖神がいると信じられており、通行人は旅の安全を祈って(たむけ)た、ということから、万葉集では「多武気(たむけ)」と表記されています。「神石を祀った」と伝承のある権現神社には、ステキな歴史秘話があるのかもしれません。

学生時代、上代文学研究会とかいう会にも入っていたおば茶記者、当然、古代史と聞くと、むくむくと湧き上がる興味を押さえることができません。

さっそく頂戴したのは、一枚のチラシ。上垣内さんは、「目印に幟をたてているから!」と、おっしゃってくださいました。

がっ!チラシに地図はあるのですが・・・どう見ても『山道』じゃあございません?

不安がいっぱいのおば茶記者、チラシの地図とスマホの現在地情報を頼りに出発いたしました。

幟と看板を目印にLet’go!

目印の幟はすぐわかりました。よく目立つ場所に立ててくださっていましたので助かりました。さらに権現峠に至る立派な標識までございます。ほっと一息ついたおば茶記者、標識に何の気なしに目を走らせたのですが。

権現神社 徒歩45分 とございました。

通勤で歩いている人の徒歩時速はおおよそ4kmと言われております。ちゃっちゃと歩いてだいたい3〜4kmの距離か?『地図はそんな遠くないけど?』などと、のんきなことを考えていたおば茶記者。

普段、車に乗ることが多く、また街なかではバスやら電車を利用するおば茶記者、徒歩の換算=「平らな道路」。山道は違うと気づくのに少し時間がかかりました。

テキパキと準備される皆さん

わりと緩やかで、長く続く坂道。歩いたら脂肪燃焼には丁度いい傾斜では?
しかし、この長い坂道。荷物を持っての移動は、相当、しんどかったのではないでしょうか。

どんどん、山道を登っていきますと、視界が開けてきました。「分け入っても分け入っても青い山」・・・という種田山頭火の俳句が脳裏に浮かびました。

そろそろ心細くなりはじめた頃、準備をすすめるみなさんのお姿に出会えました。それぞれが手際よく準備作業をすすめていらっしゃいます。
「テキパキ」本当にみるみるうちに会場が整っていきました。

権現大鳥居完成式の進行の段取りを確認中の伴中央町内会長の上垣内保之(うえごうちやすゆき)さんです。

昨年の「沼田町ふるさと祭り」取材の際、「ともてごプロジェクト」のブースでお会いした、熱血ダディ。ともてごプロジェクトのメンバーでもあります。

ともてごプロジェクトとは、とも=伴(地名)・てご=手伝う(この地方の方言)「まちづくりは人づくりです」をモットーに、地域づくりを推進するグループ。

常に自分と共に後継者や仲間の人材育成にも取り組み次の世代に繋がる持続可能な地域を目指すメンバーが様々な活動をしておられます。

餅つき準備も会場で

完成式典の進行表も綺麗に飾られています。 そして!こんな山の上であっても皆さん、餅つきです!

『お祝いごとは午前中』 とは、私の祖父母がよく申しておりました。午前中にやりおおせるためには、前日の支度まで段取りよくしなくてはなりません。皆さん、手際よく、流れるように作業をしておられました。

神楽と獅子も到着

軽トラックがエンジン音を響かせて到着しました。荷台には太鼓!今日は下向神楽団の皆さんによる神楽と獅子舞の奉納があるのです!

昨年、取材させていただいた獅子頭は、榊で飾られておりました。野外で見ると朱色がことのほか美しく見えます。緑と朱色は補色(反対色)の関係にあるので、お互いを引き立ててみせるのです。

祭壇の準備も整って

丘の上からの眺望。大勢の皆さんが作業をしていらっしゃるのが一目瞭然でございます。

準備はさらに進んでいきます。地元の田中山神社の神職さまが祭壇を組む作業をしているのを御坊さまが手伝っていらっしゃる。この御坊さまは、山に上がる目印にあった看板のお寺のご住職だそうです。

心をひとつにして行われた式典

来賓の方々が席につき、おごそかに式典が始まりました。

大鳥居のお目見え

神職さまが丁寧に祝詞をあげ、手厚くお祀りをしている最中、風のいたずらで覆いの白布が外れてしまいました。

獅子舞奉納

下向神楽団の皆さんによる獅子舞。軽妙な太鼓の調子にあわせてユーモラスな動き。和紙製の鬣(たてがみ)が、生きているようになびきます。

獅子舞は日本全国に伝わっていますが、一つとして同じ舞はない、と言われているそうですよ。

榊の奉納

この鳥居をつくるにあたり尽力された関係者の方々による榊の奉納です。 伴学区町内会連合会の秋野会長のお姿も。

奉納の様子

くす玉割り

先に風のいたずらで除幕されてしまいましたので、段取りがかわって沼田町公民館の鐡石(てついし)館長と秋野会長お二人によるくす玉割りでございました。

「煤払い」の舞

続いて天狗が登場。「煤払い」の舞を奉納されました。手に持った棒と扇子で四方を掃き清める所作は西風新都内の神楽団それぞれに共通します。

が、囃子の調子や衣装、振付けなど各神楽団ごとの個性というか特色があって、とても面白いです。

祝い餅の振る舞い

どんどんついて、どんどん丸めていきます。おば茶記者の家も、年末には餅をつきます。お餅って皆様もご存知のとおり、思いつきで撞けるものではないんです。最初に、もち米を洗って、水に一晩浸して、水切りをしてから蒸さねば「餅」にはならないのです。

さらに重たい臼を山まで運んで…。すべて簡単にできることではないのに、みなさんひょいとやってしまっていることにおば茶記者は驚いたのでございます。

みんなができることをこつこつやっていくんよ

あたりを見回してみますと、大きな水のタンク。それに広範囲にわたる草刈りのあと。この広場をつくるために皆さん事前準備で汗を流していらしたはずです。

伴中央町内会長の上垣内保之(うえごうちやすゆき)さんにお話を伺いました。

「古代山陽道が作られた当時から、この峠道は人々の往来がありました。

生活道路としてにぎやかだったこの道も近年、バス道が整備されると通る人が無くなりました。この、権現神社を中心とした里山の整備を通じ、地域の歴史や自然を伝えていくことが大事なんだと。われわれ住民が今、住んでいる地域のことを知り、ふるさとへの愛着を持つこと、若い世代にも郷土の愛着を育てててほしいと思って活動しています。」

「権現峠の自然をまもる会」が結成されてから、草刈の回数を増やすこと、権現神社の説明板を現地に設置すること、峠のすぐ下の清水の整備とPR、峠からふもとのアストラムラインの駅までの道案内の標識の設置など・・・多くの計画を立て、着実に実現させていかれました。

「みんなができることをこつこつやっていくんよ。
あのテーブルも、会員の手作り。鳥居も、加工は会員。大工がおってですけえ。」

手作り!と聞いて驚きました。このまま野点(のだて)もできそうな風流でステキなテーブルです!(写真左上)

中西さんと山崎さん。(写真左下)
木材にする加工や仕上げの塗料の手配は中西さんが。鳥居を組むための加工などは山崎さんが主に担ったそうです。
「今日はてごもんはおらんのよぉ。」
お二人とも晴れ晴れとした表情でおいででした。

当時の様子を想像しながら

「権現峠(ごんげんだお)」付近からは、沼田地区が一望に見渡せます。

古代山陽道が整備された頃からこの権現峠は生活道路として使われてきた「古道」です。歴史的には1300年とか、それくらい前まで遡れる歴史ある道です。

古代山陽道は、都(奈良)と、大宰府を結ぶ、当時もっとも重要な幹線道路と
して大化の改新頃に整備されました。広島市域では荒山・安芸・伴部・大町の4駅が置かれ、安芸区方面から府中町・安川・石内川・廿日市市方面へと結ばれていたそうです。

山陽道が海辺のルートを通るようになっても、この道は活躍しました。およそ400年前、毛利輝元が広島城を築城する際には、用材が筏に組まれ、太田川を下って運ばれていきました。そのかえりには船頭さんたちがここを通って戻っていったそうです。地元にそうした言い伝えが400年も語り継がれるほどです。当時、いったいどれほどの数の筏が太田川を下ったのでしょう。

大正時代も、佐伯区湯来町の水内や安佐南区沼田町の戸山・伴の方から広島に出る人、広島市内中心部方面から魚や呉服・乾物等を背負ったり天秤棒をかついで行商する人達が往来していたそうです。1300年の歴史の中ではついこの間まで、この権現峠は生活道路として賑わっていたのです。

そうした歴史を伺って、この道や風景を眺めると、風景が格別に思えてきます。権現峠を通りすぎて行った人たち。様々な時代の人々。いったい、どんな思いをもってこの山坂を越えて行ったのでしょうか。

楽しく安全に登山してもらえるように

改めて標識や鳥居を見てみました。鳥居の両側には狛犬ではなく、休憩できるベンチが備えつけられています。温かい木のぬくもりを感じます。ここに腰掛けて、おば茶記者は「ひろしま森づくりコミュニティネット」の一文を今一度思い出しました。

地域のボランティアの皆さんの頑張りで、非常によく整備されています。案内板も至るところにあることから、初心者の方でも安心して登れます。

鳥居をよく見ると、正面からは「ようこそ!権現峠・権現神社へ」という歓迎の言葉。そして反対側には、「おつかれさまでした。お気をつけておかえりください。」というねぎらいの言葉がありました。

権現峠の自然をまもる会の皆さんの優しいおもてなしの心、お気持ちがじいんと胸にしみわたったおば茶記者でありました。