伴部駅館跡?あかずの石

アストラムラインの伴中央駅あたりに昔から土居屋敷跡といわれているところがあり、古代山陽道の伴部駅の駅館跡ではなかろうかと推定されている。

この屋敷跡には開けることは不可とされている大きな平形の石が残っていたが、アストラムライン工事の為この石が取り除かれた。
(写真の大きな土台石の部分。現在は近くに移設。)

専念寺(三城田)

専念寺は浄土真宗本派本願寺派に属し、龍池山と号し、元は天台宗であったが、慶長8年(1603)に真宗に改宗した。元は長束の蓮光寺の末寺であったとも伝えられている。

この寺の由来については色々な伝記が残っているが、慶長年間と明治3年の火災により古文書がことごとく焼失した為さだかでない。専念寺に安置されている寄木造り阿弥陀如来半跏像は高さ33cmの小柄な仏像であり、昭和50年に広島市の重要有形文化財に指定された。

養峠(平木)

古代山陽道とは、都と大宰府を結ぶ大動脈のことで、この道が伴の地を通っていたと推定される。

それは専念寺前から大塚川を渡り、この養峠に続いていたとの説が現在最も有力である。

この養峠が、現在残っている古代山陽道としてはここだけとされているが、現状は廃道にちかい。

養峠の地蔵さん

この養峠を登りきった所に二、三軒の民家があり、その家の庭先に小さな地蔵さんがお祀りしてある。

このお地蔵さんの由来についてはさだかではないが、延京4年3月の銘がある(1747)。 口伝によると、当時この地方の若者が娘さんにいたづらをして死にいたらしめ、その供養の為にこの地蔵さんを建立されたものだと伝えられている。

全国的には何処にでもある地蔵さんであるが、安芸門徒の多いこの地方では数少ない本格的なお地蔵さんで、長袖の着物を着ている。

雨降らしの石

県道、伴、麦谷線から少し田圃の中に入った所に「五輪墓」がある。これが雨降らしの石である。

この五輪墓は中世武士の墓であるが、五輪石は手頃な大きさの為、子供達が粗末に扱っていたため、戒めの言葉として「ええか、あの石に当るなよ、あの石にさわるなよ、あの石にさわると雨が降るぞ」となったのではなかろうか。

岡崎神社(八幡社)

伴、三城田にあり、祭神は品陀和気命、市寸島比売命、等多くの神々を合祀している。元は伴村、長楽寺村の氏神様であったが、現在は伴地区の氏神様として祀る。

この神社の勧請年月や由緒等については不詳。伝説によれば安芸の国、旧領主、伴五郎繁清の祖先が勧請したと伝えられている。毛利元就が領主であった時、二十石の社領地を寄付されたが、領主福島正則の時に没収された。棟札や寄付帳などは、延京三年(1746)の火災で焼失したので詳細は不明である。

岡崎神社(八幡社)の灯ろう

旧玉扇酒造の上、高附道の側で田の畔に立つ灯ろう。天保15年に中畑、小野、下地地区の住民が力を合わせて建てた灯寵であるが、この天保時代と言えば江戸時代でも最も飢饉がひどかった頃の事。

住民は二度とこの様な飢餓に苦しまないようにと神々に祈って協力して建てたものだろう。灯ろうに刻む文字から当時の様子が伝わる。